当時91歳とご高齢のマンドリン音楽界の巨匠、中野二郎氏を客演指揮者としてお迎えした記念すべき第28回定期演奏会は
1993年10月23日(土)18:00より、仙台市青年文化センターコンサートホールにて開催され、絶賛を博しました。
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1993年10月23日
第28回定期演奏会 第V部のステージ風景より
思い起こす60余年前の昭和6年、私はマンドリン音楽への燃えるような憧れと希望を抱いて、その
頃仙台で沢口忠左ヱ門氏の主催していたアルモニア合奏団5周年記念の演奏会に招かれて客演した。
沢口氏は私と全く同年輩で稀にみる篤学家で二人とは現れない人材であったが、惜しくも終戦直後逝
いて了われた。以来久しく仙台とも縁が切れて了ったのであるが、その後40余年を経てから、日本の
マンドリン音楽を最初に啓蒙された故田中常彦氏(元日本マンドリン連盟会長)の唯一の薫陶を受け
られた高橋五郎氏を知ることになり、今から17年前の昭和51年、招かれて以来、今日まで交友が続い
ている。その時のフローラのメンバーで今日まで続けていられる方が果して何人居られるであろうか。
マンドリン音楽は今日まで宿命的にアマチュアによって支えられてきた音楽で、真の意味の(内容
の)発展が困難なのである。表向きに批判されることも少なく、温室育ちで、専門的に格別に努力し
なくとも、比較的高度な楽しさに溺れることができるところに特徴のあるのがよしあしである。
先般私は高橋五郎氏から、中国の楽器の優秀な奏者を迎えて開かれた演奏会の録音テープをお送り
頂いて拝聴したのであるが、正直、暗然、忸怩(じくじ)の思いに陥って了った。成程中国の楽器の奏者は
夫々我々マンドリン奏者の及びもつかないほどの訓練を経た優れた人のようで、それを聴いた人たちの
拍手の音でも判然としている。それにしてもマンドリンの会でありながらマンドリンの主調がなさすぎ
るのである。
我々はマンドリン音楽に愛着してやっているのである。少なくとも奏者、指揮者が、何ら感銘、感
動なしに演奏したものが、聴く人に感銘を与えられるわけがない。近頃は一方的に刺激の強いものに
嗜好が傾いており、或いは未だ曲芸的な技術が喝采されるようであるが、マンドリン音楽はロマン華
やかな時代に開拓した音楽で、其処にこそ最大の魅力があるわけで、私が年齢を顧みず御地に伺う気
になったのは、唯々そこを強調したいのに外ならない。
1902年(明治35年)4月10日瀬戸市生まれ。 91歳。
1920年愛知県立工業学校図案科を卒業、名古屋高等工業学校建築科に助手として入るが中退。
初月給で買ったマンドリンに魅せられて独学でマンドリンとギターを習得、大正末ごろから独奏家として活躍。
1941年アルゼンチンギタリスト協会の会員に推薦される。
一方作曲の分野では、ギター独奏曲、マンドリン独奏曲・合奏曲、童謡などを作曲しその数は数百曲に及ぶ。
又、自作曲をイタリアで出版したり、1954年には国際ギターコンクール(イタリアギター協会)の作曲部門で
“パガニーニの主題による30の変奏曲”が人選。 1945年から20年間、NHK名古屋放送管弦楽団専属指揮者となる。
1958年ギター之友社より、『ギター音楽功労者』の第1回表彰者となる。
同年愛知県教育委員会より文化功労者(音楽部門)として表彰される。
1963年〜1984年同志社大学マンドリンクラブ講師。
1981年、永年にわたる優れた音楽活動により名古屋市芸術特賞を受賞。
1985年には1万4千余点に及ぶ楽譜のコレクションを同志社大学図書館に寄贈。
1988年勲五等双光旭日賞を叙勲。『イタリアマンドリン百曲選』、『古典マンドリン合奏曲集』等を出版しわが国の
マンドリン合奏界のレパートリーの拡大に大きな力となった。また現在も日本マンドリン連盟より『中野二郎編曲
マンドリン合奏曲集』シリーズを継続出版中。日本マンドリン連盟副会長。