日本マンドリン連盟事務局が発行しているJMUジャーナルに掲載された記事からの特選情報を紹介します。
“マンドリン合奏フェスティバル2009 in Tokyo”公開セミナー〔2009年12月26日 タワーホール船堀〕
『パストラルファンタジー』をどう演奏するか―について藤掛廣幸氏が語られた内容の記事から抜粋で掲載します。
〜前段省略〜
マンドリンのことをよくわからない時に作曲した曲ではあるが、現在
では、ピッキング、トレモロという楽器のすばらしい特質を生かした「マ
ンドリンならでは」という演奏をしていただきたいと願っている。
作曲家は楽譜に情報を書き込むが、書ききれず、結局、最低限のこと
しか書けない。「アクセントをつけたい」「重みのあるアクセントが必要だ」
「テヌートも必要だ」などを全部書いたら、楽譜は真っ黒になってしまう。
また、たとえ書いても、演奏者にとって演奏しやすくなるわけではない。
「楽譜に正確こ」演奏することは大切だが、楽譜に「p」と書いてあるから
ずっと「p」だけで演奏するのが良いのか。逆にcresc.と書いてないから、
cresc.しなくて良いのか。そうではない。楽譜は記号にすぎず、命がない
ものだ。
演奏者は、楽譜の行間を読みとって、作曲家がどうしたかったのかを考
えてほしい。「f」と書いてあるが、この前にcresc.が必要だと作曲家は考え
ていたのではないか。 rit. とは書いてないが、作曲家はrit.してほしいと
思っていたのではないか。MozartやBeethovenの楽譜で、何も書いてなく
ともaccel.したくなるところがある。しかし、これは、演奏者が勝手こaccel.することを奨励しているわけではない。
例を、映画やテレビのドラマから見てみよう。台本に男性俳優のセリフとして「きょうは雨か」と書いてあると、俳優は、きのうとても良いことがあったシーンを受けて言うのか、それともきょう会社をクビになったあとに言うのか、役柄の人の気持ちを考えてしやべり分ける。
演奏者の作業は、作曲家が楽譜に書いた情報を「なぜ書いたのだろうか」と読みとることだ。作曲家の 「思い」を読みとってほしい。読みとり方は人によって違うので、それぞれの演奏は1回限りであり、それぞれ違う命が生まれ、その命は、演奏が終わるとスーツと消える。
合奏では、同じパートの人は同じ楽譜を見て演奏するが、パートの構成はそれぞれの感じ方は違って当然であり、全員が同じように感じて演奏したら、人間による演奏ではなく、ロボットによる演奏になってしまう。指揮者はそれを一つの方向に持って行くのが仕事だが、指揮者が言ったことをどう受けとめるかということについても、演奏者それぞれで受けとめ方が違う。指揮者が方向性を示してゆくことと、演奏者の多様な感じ方が相乗効果となって、命が生まれ、音楽の感動となる。そしてその感動はニ度と出てこずに、演奏が終わると消えてしまう。
命を吹き込まれたこの一瞬が感動を伝えることができるので、音楽はすばらしい。